リバーズ・エッジ オリジナル復刻版 映画化された漫画 2024.07.19 死と暴力と愛死もセックスも愛もすべて等価な透明の「無」のなかで再生される、私たちの新しい「リアル」岡崎京子の最高傑作として世代を超えた感動を呼ぶ名作。 レビューを見る 購入・お申し込みはこちら
作中の彼・彼女達は河のすぐ傍にある空き地に転がった一人の死骸を通してのみ繋がっている。死という圧倒的なリアリティの前で、彼・彼女達は自分たちの生ですら造り物、紛い物と錯覚してしまう。虐められっ子の山田は、ガールフレンドと共に水族館へと足を運ぶが、そこで彼は、人工的に取り繕われたこの空間をひどく奇形的と感じ、そして自分の生き方もこの牢獄に囚われた大勢の魚達とほとんど同じであることに気が付く。日常という、生活の恒常性を保つために作られた人工的な空間の中で、もはや彼は生を実感することができない。そして彼は、深いプールの中を泳ぎ切った後に息継ぎするように、その死骸の元へと足を運びつづける。 彼・彼女達の日常は、死骸が失われてから急激に崩壊していく。彼・彼女達の会話は、彼女達の本質を露わにするどころか、まるで筋違いの道案内をしてしまうように、間違った認識へとお互いをいざない、そしてその軋轢が閾値を超えたとき、お互い傷つけ合いはじめる。 この生活空間をいくら飾っても、自然を排除しようしても、私たちと私たちの心は結局のところ自然そのものであり、ある時突然、私たちと私たちの心は無意識のうちに日常にすっぽりと穴を穿ち、お互いを滅ぼし合い始める。そんな危うさを、岡崎京子は私たちに伝えたかったのかもしれないのだな、と思った。
”平坦な戦場”ってものすごくしっくりくる言葉だな。 学校でくだらないお喋りをして、なんとなく恋人を作ってみる。平坦な毎日だけど、毎日が戦い。 生き延びるために、何かを探したくて死体を宝物にしたり。 ギリギリのところで保たれてた何かがふいにぷつっとキレる瞬間が恐ろしかった。それもいつか忘れてなかったことになるけど、戦いは終わらない。 登場人物みんなの心情が描かれていて、誰かしら、または全員に共感できるはず。 読後の気持ちは重い。そしてうまく言えないけど、岡崎京子さんの作品を読んだ後の、漫画の登場人物たちはどこかで生きていて、わたし自身も間違いなく今戦いながら生きているんだと思えるこの感覚が好き。 (わけわからない感想でごめんなさい)
作中の彼・彼女達は河のすぐ傍にある空き地に転がった一人の死骸を通してのみ繋がっている。死という圧倒的なリアリティの前で、彼・彼女達は自分たちの生ですら造り物、紛い物と錯覚してしまう。虐められっ子の山田は、ガールフレンドと共に水族館へと足を運ぶが、そこで彼は、人工的に取り繕われたこの空間をひどく奇形的と感じ、そして自分の生き方もこの牢獄に囚われた大勢の魚達とほとんど同じであることに気が付く。日常という、生活の恒常性を保つために作られた人工的な空間の中で、もはや彼は生を実感することができない。そして彼は、深いプールの中を泳ぎ切った後に息継ぎするように、その死骸の元へと足を運びつづける。 彼・彼女達の日常は、死骸が失われてから急激に崩壊していく。彼・彼女達の会話は、彼女達の本質を露わにするどころか、まるで筋違いの道案内をしてしまうように、間違った認識へとお互いをいざない、そしてその軋轢が閾値を超えたとき、お互い傷つけ合いはじめる。 この生活空間をいくら飾っても、自然を排除しようしても、私たちと私たちの心は結局のところ自然そのものであり、ある時突然、私たちと私たちの心は無意識のうちに日常にすっぽりと穴を穿ち、お互いを滅ぼし合い始める。そんな危うさを、岡崎京子は私たちに伝えたかったのかもしれないのだな、と思った。
コメント
死という圧倒的なリアリティの前で、彼・彼女達は自分たちの生ですら造り物、紛い物と錯覚してしまう。
虐められっ子の山田は、ガールフレンドと共に水族館へと足を運ぶが、そこで彼は、人工的に取り繕われたこの空間をひどく奇形的と感じ、そして自分の生き方もこの牢獄に囚われた大勢の魚達とほとんど同じであることに気が付く。
日常という、生活の恒常性を保つために作られた人工的な空間の中で、もはや彼は生を実感することができない。
そして彼は、深いプールの中を泳ぎ切った後に息継ぎするように、その死骸の元へと足を運びつづける。
彼・彼女達の日常は、死骸が失われてから急激に崩壊していく。
彼・彼女達の会話は、彼女達の本質を露わにするどころか、まるで筋違いの道案内をしてしまうように、間違った認識へとお互いをいざない、そしてその軋轢が閾値を超えたとき、お互い傷つけ合いはじめる。
この生活空間をいくら飾っても、自然を排除しようしても、私たちと私たちの心は結局のところ自然そのものであり、ある時突然、私たちと私たちの心は無意識のうちに日常にすっぽりと穴を穿ち、お互いを滅ぼし合い始める。
そんな危うさを、岡崎京子は私たちに伝えたかったのかもしれないのだな、と思った。
自分はもう、こんな世界には住めないと思うが、若き時代にちょっとした偶然があれば、と思う。
20世紀末日本社会に生まれるべくして生まれた傑作だと思う
学校でくだらないお喋りをして、なんとなく恋人を作ってみる。
平坦な毎日だけど、毎日が戦い。
生き延びるために、何かを探したくて死体を宝物にしたり。
ギリギリのところで保たれてた何かがふいにぷつっとキレる瞬間が恐ろしかった。
それもいつか忘れてなかったことになるけど、戦いは終わらない。
登場人物みんなの心情が描かれていて、誰かしら、または全員に共感できるはず。
読後の気持ちは重い。
そしてうまく言えないけど、岡崎京子さんの作品を読んだ後の、漫画の登場人物たちはどこかで生きていて、わたし自身も間違いなく今戦いながら生きているんだと思えるこの感覚が好き。
(わけわからない感想でごめんなさい)
死という圧倒的なリアリティの前で、彼・彼女達は自分たちの生ですら造り物、紛い物と錯覚してしまう。
虐められっ子の山田は、ガールフレンドと共に水族館へと足を運ぶが、そこで彼は、人工的に取り繕われたこの空間をひどく奇形的と感じ、そして自分の生き方もこの牢獄に囚われた大勢の魚達とほとんど同じであることに気が付く。
日常という、生活の恒常性を保つために作られた人工的な空間の中で、もはや彼は生を実感することができない。
そして彼は、深いプールの中を泳ぎ切った後に息継ぎするように、その死骸の元へと足を運びつづける。
彼・彼女達の日常は、死骸が失われてから急激に崩壊していく。
彼・彼女達の会話は、彼女達の本質を露わにするどころか、まるで筋違いの道案内をしてしまうように、間違った認識へとお互いをいざない、そしてその軋轢が閾値を超えたとき、お互い傷つけ合いはじめる。
この生活空間をいくら飾っても、自然を排除しようしても、私たちと私たちの心は結局のところ自然そのものであり、ある時突然、私たちと私たちの心は無意識のうちに日常にすっぽりと穴を穿ち、お互いを滅ぼし合い始める。
そんな危うさを、岡崎京子は私たちに伝えたかったのかもしれないのだな、と思った。
このぐちゃぐちゃさがたまらなく好きです。
今夜もう一回読みます