ねじ式 映画化された漫画 2024.06.01 超現実を描く『ねじ式』など衝撃の名作集!不安、緊張、そして心地よい無力感を生む、まさしく「夢」の増殖としか呼びようのない衝撃作『ねじ式』の他、『ゲンセンカン主人』『オンドル小屋』等、つげ世界の精髄を結集した必読の一冊。 レビューを見る 購入・お申し込みはこちら
府中市美術館で2/26まで「石子順造的世界」という展覧会が開かれている。 その展覧会で取りあげられている、マンガの1つだということで予習がてら読んでみた。 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/ishiko/index.html 内容の紹介はwikipediaなどに乗っているとして、一言で言えば「よくわからない。けど、わかったふりもできない」という感想を持った。 夢と現実が混じったような世界、舞台は温泉や漁村、工場など。私にはなじみのない世界がほとんど。話は混沌としていてわかりにくい。 自分の記憶をたどると、同じような感想を持った本、宮本常一の『忘れられた日本人』に行き当たった。 地方の生活や風習を、包み隠さず書かれた本を読んで、人間には白黒つけれらない部分、簡単に説明できないモヤモヤした部分があると思った。この本にも、「はっきりわからない。けど、気になる」部分がありました。 難しものを無批判に褒めるのは、どうかと思う。 でも、一方でわかりにくいものを切り捨ててもいいのかと思わせる。 自分が日々わかりやすいモノに流されていると感じていたので、良い本に出会ったのかな。
初めて読んだときは、ねじ式の世界に何か意味があるのだろうと思って何度も読み返した。単に不安で不快にさせるための描写だとは思えなかった。そして、不自然に出てくる多くの看板や海に浮かぶ軍艦など意味を求めて細部を読み返した。 でも、ようやく最近になってそれらには特に意味がないのだろうと気が付いた。男はメメクラゲに触れて、血管をやられ、医者を探して(眼医者ばかりで)手術してもらって、ボートで帰る。ねじ式の世界ではこのストーリーは合理的に完結しているようだが、読者にとっては何一つ理解の点で解決していない。 そして、今の自分がねじ式を通して抱く感情は日常における異世界の近さだ。日常におけるボタンの掛け違えや、触れてはいけない個所をめくってしまうことによる異世界へのリンク。こんなところに異世界があったのだという存在への驚きを予感させる。
コメント
その展覧会で取りあげられている、マンガの1つだということで予習がてら読んでみた。
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/ishiko/index.html
内容の紹介はwikipediaなどに乗っているとして、
一言で言えば「よくわからない。
けど、わかったふりもできない」という感想を持った。
夢と現実が混じったような世界、舞台は温泉や漁村、工場など。
私には
なじみのない世界がほとんど。
話は混沌としていてわかりにくい。
自分の記憶をたどると、同じような感想を持った本、
宮本常一の『忘れられた日本人』に行き当たった。
地方の生活や風習を、包み隠さず書かれた本を読んで、人間には白黒つけれらない部分、簡単に説明できないモヤモヤした部分があると思った。
この本にも、「はっきりわからない。
けど、気になる」部分がありました。
難しものを無批判に褒めるのは、どうかと思う。
でも、一方でわかりにくいものを切り捨ててもいいのかと思わせる。
自分が日々わかりやすいモノに流されていると感じていたので、
良い本に出会ったのかな。
あの描かれている感覚、きっと体感したはずと思わされる。
私にはつげ義春の作品はまだ早かったようだ…。
もう少し時間が経ってから読み返すとまた違った感想が抱けるのだろうか。
単に不安で不快にさせるための描写だとは思えなかった。
そして、不自然に出てくる多くの看板や海に浮かぶ軍艦など意味を求めて細部を読み返した。
でも、ようやく最近になってそれらには特に意味がないのだろうと気が付いた。
男はメメクラゲに触れて、血管をやられ、医者を探して(眼医者ばかりで)手術してもらって、ボートで帰る。
ねじ式の世界ではこのストーリーは合理的に完結しているようだが、読者にとっては何一つ理解の点で解決していない。
そして、今の自分がねじ式を通して抱く感情は日常における異世界の近さだ。
日常におけるボタンの掛け違えや、触れてはいけない個所をめくってしまうことによる異世界へのリンク。
こんなところに異世界があったのだという存在への驚きを予感させる。
始めてみた時の衝撃ったらなかった。